初めてのお経

それぞれの感覚

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3月に2度、お葬式があったと書きました。

我が子たちは、初めてのお葬式。

じーっとしてつまらないことが耐えられないタイプの息子と、想像力豊かで色々イメージがふくらむタイプの娘。

そもそもお葬式は楽しい行事というわけではありません。

ママのおばあちゃんに、お別れをする会だよと伝えて1度めは臨みました。

棺の中のおばあちゃん、お供えしてあるお箸が立っているごはん、そんな色々に興味津々のふたり。

まったく怖がる様子もなく、おばあちゃんの顔見にいこう、と覗いて「寝てるみたいだね」と話していました。

そこまでは良かったのですが。

お坊さんのお経もほぼ初めて。

これが2人にはとっても苦痛だったようです。

何を言っているのか分からない、長い・・・子どもにとってはそう感じます。

さすがに静かにしていないといけないのは理解していたので、終えてから文句を言い始めました。

以前の私なら、「黙ってなさい」と、ただただイライラしていたでしょう。

親戚もいるから目が気になるし、失礼なこと言ってるし、自分は悲しみたいし・・・。

でも、今は私の気持ちがスッキリしているのでイライラしませんでした。

「つまらないって思っちゃうよね。大人も、何を言っているのか分からないんだよ。でもね、おばあちゃんが仏様になるために、お坊さんはお経っていうのを読んでくれていて、それはおばあちゃんに必要なものなんだ。ママもみんなも、おばあちゃんにはお別れしたいし、無事に仏様になって欲しいって思ってる。」

すると。

翌日子どもたちは「お別れは大事だから、する。でも、お経はつまらない」と言い、なんとお経が始まると眠ってしまいました!見事に、お焼香を終え、お経の間だけ。

・・・直感的にこの空気がそうさせてるんだろうか。

と、思うほどきれいに2人ともスーっと眠り、お経が終わると起きて、ちゃんとその後のお別れの式に参列できたのです。

🍃🍃🍃

2度目は、お通夜に行くかどうか、子どもたちに委ねました。

下の子は自分の予定があり、「おばあちゃんも大事、予定も大事」と悩み、なんとか両方参加ました。

上の子は「お経は嫌なんだけど、おばあちゃん大事だから行く」と答えました。

ひいおばあちゃんとの別れを「大事だ」とはっきり言えることにも、私は驚きました。

更にひととおりお葬式を終えてから、「やりたいことは、やろう。長生きしようね。」って言い合っていました。

きっと子供たちなりに「生きること」を意識していたんだろうなと、思います。

ちなみに、火葬してお骨を拾う時は、少し最初怖かったようです。

理科室の標本のような骨のカタチで出てくるのかと想像していたと言っていました。

なるほど。。。

🍃🍃🍃

学校なんてつまらない、授業がつまらない、苦痛だ・・・

そう言う息子の感覚は、お経を聞いているのと似ているんだろうなと思います。

分からない話が延々続いて聞いていなくてはならない。

お経はありがたいし、授業は大事だと分かっていても。

でも、面白くなると、全然違うんです。

なんと、2度目のお葬式のお通夜では、お経の書いた本を見ながらみんなでお経を唱えるのですが、息子はそれが歌うみたいで面白くなったようでした。

急にまぁまぁ大き目の声でお経を一緒に読み始め、ついでに顔も動かしながら、最後までお経を読んだのです!

音読の宿題は全然好きじゃないのに。

「なんか面白い」と思うと、意味の分からないお経でも、読める。

授業が苦痛という子は集中できない子というわけでは、ないわけです。

「なんか面白い」のスイッチさえ入れば、できるんだ!という、【おうち楽習サポート】的な劇的変化を間近で見たのでした。

不謹慎と思う方もいたかもしれませんが、全てお経を読み切って満足した息子のパワーは、きっと祖母に届いていると思います。

なにより、自分から「お別れをする」という意思で2度のお葬式に臨んだ子どもたちに、私も、おそらく祖母たちも、喜んでくれているだろうなと思っています。

🍃🍃🍃

その子のタイプに合った、「やりたくなる」ポイント、一緒に探せるのも

ママ自身ののマインドにしっかり向き合えるのも【おうち楽習サポート】。

心の奥底から、「大丈夫だ」と思えるようになれました。

ご相談、こちらから↓メッセージでやりとりできます。

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