99年生きた証
だ い す き
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今日は、わたくしごとのお話です。
私の祖母は、あと2か月で100歳。もうひとりの祖母は、次の1月で100歳。つまり二人とも99歳です。
2人の祖母は、性格が真逆。真面目でちゃんとしたいタイプと、明るくのんびりマイペースなタイプ。
どちらも私の大好きな祖母です。
そのうちのひとり、明るくのんびりタイプの祖母が、他界しました。
少し前から、食欲が落ちて体力がなくなり、そろそろ・・・とのことだったので、今のうちにと子どもたちを連れて会いに行きました。
99歳なはずだけれど「あたし、100歳なのよぉ~」と言っていて。
もうそんなに長生きしたら、99歳でも100歳でもどっちでもいいよね!すごいよね!!と、まだ年齢1桁の我が子と話したのでした。
何度骨折しても、どれだけ血糖値が高くても、身体が思うように動かなくても。
それでもお気楽一人暮らしを続けたいと、自宅に戻るためにリハビリを頑張る人でした。
深夜のお笑い番組が好きで、とにかく人と喋りまくるのが好き。
個人情報の概念はなく、孫たちひ孫たちの話をお友達やヘルパーさんにダダ洩れ(笑)。
2年前の骨折とコロナによる隔離は体にも脳にもさすがに厳しかったようでした。
そんな祖母が、握力も落ちた手で、少しずつ書いてくれた手紙がありました。
「だ い す き」の文字に、思わず涙が止まらなくなりました。
今回、祖母が亡くなったと報せを受け、この手紙を思い出しました。
100年近くも生きながらどんな景色が見えたのだろう。
親族それぞれに家族が増えているのはそもそも祖母がいてくれたから。
たくさんの感謝がわいてきて、ふと、降りてきた想いがありました。
🍃🍃🍃
”人間って、なんで生きているんだろう。なんで、生きないといけないんだろう。”
私が幼少期からずっと、そっと、もっていた疑問でした。
当時、大人に聞いても納得できる言葉の答えには出会わず、宙ぶらりんになっていた疑問でした。
祖母の他界により、たくさんの感謝を感じながら、母への感謝も出てきました。それから我が子へも。
そこでふと、生まれたからには命を繋ぐという使命があるんだなと、思ったのです。
直接的に親子の繋がりというだけでなくて、生きている間に関わるたくさんの人や場面で、誰かの何かに自分が作用している。意図しても、意図していなくても。
無人島にひとりで生活しているわけでないのだから、誰かの何かのおかげで生活ができている。
家があって、着るものがあって、食べるものがあって、ライフラインがあって・・・そう思えた時に、そういう生活の一部を私もまた、担っているんだろうなという感覚になったのです。
しごとをして、子どもを育てているだけでもそこで共に過ごす人や時間がある。そういうものが繋がって、人の命として繋がっていく。
だから。
直接的な答えではないかもしれないけれど、未来の誰かのなにかのために、私もまた生きているのだなと、腑に落ちたのでした。
祖母が繋いでくれた家族や親族がいる。そこへの感謝が生まれたからやっと、腑に落ちたのだと思いました。
祖母が99年かけて、気づかせてくれたのだと思いました。
🍃🍃🍃
好きなものを、好きな時間に、好きなように食べて、起きて、寝て、という暮らしを好んだ祖母。
「そろそろ」と言われてから、親族みんながそれぞれのタイミングで、生前に顔を見られました。祖母はその期間を待ってから、旅立ってくれた気がしています。
みんなに、会いたかったんだね。
私も、私の命を、私らしく在ることでできることをして、生きていこうと思えています。
これから、わが子たちは初めてのお葬式を迎えます。
私自身の感情も、子どもたちの感情も、丁寧にみていきたいと思っています。